Mods(モッズ)はイギリス’50年代末頃、アメリカのロカビリーの影響を受けたテディーボーイズのカウンターカルチャー(対抗したカルチャー)として細身のイタリアンルックなスタイルを象徴とし、動き始める。テディーボーイズについては以前書いた「ラバーソールと若者文化》歴史は50年代 不良少年「テディボーイ」から始まった」の記事で触れているので一度目を通しておくといいだろう。
’60年代に入るとモダニスト、モダンズ、略してモッズと呼ばれるようになる。モッズは中流階級のキッズ達を中心としていた。これといった決まった思想はなく、自由な若者の集まりと言った感じ。とにかく自分達が「最先端」という意識が強かった。
ロンドンのカーナビーストリートで仕立てたオーダーメイドの3Bナロウスーツ(三つボタンの細身のスーツ)にサイドゴアブーツ、それらを守るための軍モノのコート(※モッズパーカ(モッズコート)とは参照)を羽織り、ランブレッタやベスパといったスクーターを移動手段とした。
R&Bを中心とした音楽でクラブで踊り、女の子をナンパする。勿論、ロカビリーを聞き、髪を固めてエンジンむき出しのバイクに乗るロッカーズ(※「悪魔のレース」ロッカーズとカフェレーサー 参照)を古臭い田舎者と嘲笑した。その後モッズムーブメントは巨大化したが、’64年頃を境に大きくなりすぎた故かドラッグの蔓延か二分され、スキンズ、ヒッピーの流れへ傾倒していく。
イギリスの経済危機と共にほぼ終止符を迎えるのだ。
バンド、ザ・フーの『Quadrophenia(四重人格)』というアルバムで、’65のロンドンのジミーという1人のモッズ若者のストーリーをコンセプトにしたアルバムがある。これを映画化したものが、’79『QUADROPHENIA (さらば青春の光)』である。この映画で当時のモッズやロンドンの若者のスタイルが描かれている。
70年代後半のバンド、スペシャルズ等の2トーンスカ、The Jam等のパンク、ニューウェーブでもモッズスタイルは再認識されモッズリヴァイバル、ネオモッズムーブメントとなる。
日本でも90年代頃のモッズは、都会でチームを作りベスパやランブレッタを乗り回し、クラブに集まりオリジナリティーを競い合う様な時代があった。
私自身、英国パンクに影響を受けた後、16歳頃からThe Jamやファッション雑誌でみていた。スタイリッシュなモッズに憧れ、意味もわからずR&Bやスカのレコードを買い、スーツを仕立て、モッズのクラブイベントにデコレーションしたベスパで行きどっぷりハマった頃があった。映画「さらば青春の光」から「Mods!」という60年代のモッズの在り方を書いたリチャードバーン著を見て物真似していた。
ちなみに、’62『A CLOCKWORK ORENGE (時計じかけのオレンジ)』アンソニーバージェス著も妄想の世界観で見た目もモッズと呼ばれるものとは違うが、ライフスタイルはモッズの影響を描いているとされている。
日本でもこの時期(5月)になるとモッズカルチャーのイベント「Mods Mayday」が数箇所で行われている。
モッズに興味がある、モッズを知りたいという人は1度足を運んでみてはいかがだろうか。