こんにちは、某(ぼう)です。
気づいたら春です。
ってまた編集長に催促されてしまいましたので「ネタがねーんだよ!!」と逆ギレしましたところ
はいー却下ー
フツーにこの季節にやる必要ある?
ぐぬぬ…心霊スポット紹介っていったら、現地まで行ってみないことにはいい記事書けなくない?と思案しながら編集長の似顔絵を左手で描いたら結構うまく描けちゃった!びっくり!
せっかくなので吹き出しのアイコンにしてみました☆
夜中に心霊スポット行って喜ぶ年齢はとうに過ぎておりますので、そっちはへんしゅーちょーにお返ししまーす!
さ、気を取り直して、徳川家康伝説をひとまず完結すべく、本日はこちら!デデン!
家康の死因は!?
【諸説ありシリーズ】
小豆餅と銭取ターボババァのお話
まじ家康ハンパないら!紋はお手軽お礼術なんだ紋
テッテレー!ドッキリ大成功!橋かと思った?
家康さんの死因を調べるといくつか出てきます。なんと諸説向きな題材!
まずは
天ぷら食中毒説
あーこれこれ!家康さんといえば、な、死因はこれ!!
家康さんは享年73歳。
信長さんが「♪いーいーなー いーいーなー にーんげーんって五十年~」って歌って踊ってた時代からしてみればかなりご長寿。
家康さんはお尻を出した子だったのでしょうね。(脱糞の処理)
しかしながら、最後に食べた天ぷらは亡くなる三ヶ月も前。
食中毒で亡くなったというには少し無理があります。
さらに天ぷらというか、油で揚げた鯛に薬味を入れたタレをかけた「鯛の南蛮漬け」だというね。やだなにそれ美味しそう!
胃がん説
はい本命きたよ。
ずいぶんと痩せ、吐血、さらにお腹に大きなシコリが出来ていると記されていたようで、これらは胃がんの症状に当てはまっています。
誰か早く南方仁先生呼んできて!!
(仁先生が現れるのはここからさらに250年後でした…残念。)
関ヶ原で討ち死にしてた説
はいはいはい原哲夫先生の『影武者徳川家康』の世界線ね。
影武者をたてるのが一般的だった当時、士気を下げないためにも家康さんが生きていることにしておかなければならない状況があったのでしょうね。
もしかしたら影武者の影武者…のさらに影武者をつないでいって73歳まで生きていたかのように画策していたのかも?!
最後の影武者は実際は50歳だったりしてね!逆サバ読み。
「いや~家康様はとても70歳には見えませんよ~!」
「え~?いくつに見えるぅ~?」
みたいなやりとりがあったのかも。ウザ家康さん。
原哲夫先生の「花の慶次」には晩年の家康さんが出てきますが、影武者徳川家康時代よりでっぷりしちゃってるし、別人っぽい。影武者の影武者っていう可能性もなくもないですね!
だって原先生が描いているんですもの!!
死ぬ間際に剣を振り回した説
死因ではないのですが、家康さんが死ぬ間際におもむろに立ち上がり
「この剣で、末代まで子孫を守ったる!」
と言ったとか言わなかったとか。
多分後ろで雷ピッシャーーーン!って鳴ってたはず。
もうアレじゃん!ラオウじゃん!!戦国末覇者イエヤスじゃん!!!
あぁ~やっぱり原先生と武論尊先生のタッグは最強だね。
「ひでぶッ!」
も、「秀吉ブサイク」の略だったという説。
※諸説あり!!