歴史嫌いの私がお送りしております、諸説ありシリーズ。前回に引き続き、家康さんのアレやコレやの逸話をご紹介しますよ。どうもこんにちは。某(ぼう)です。
今回は「紋」について。
浜松のとある名字の家紋(達夫じゃない方)、とあるお寺の寺紋(ダチョウ倶楽部じゃない方)は深く家康と関わりがあるのです。
徳川家康が三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で武田信玄に敗走している途中のお話。
敗走に定評のある家康さんなので、行く先々で逸話が残ってるんですよね。その敗走ルートをつなげると矛盾も生まれるらしいのですが、それもまぁ「諸説あり」ってことでよろしくお願いします。
今回の概要は2つ。
1つ目はこちら。
逃げてる途中でお腹が減った家康は、ある農家に飛び込み、何か食わせてくれと懇願した。
そこに住む老夫婦は、今煮ているのは、粗末な米の粥でとてもお偉い方にあげるようなものではないと断ったが、それでもいいと家康はお粥をもらった。それを食べて空腹が満たされた家康は、「この恩はいつか必ず返す」と言い敗走を続けた。
その後、かくかくしかじかあって天下を取った家康は、老夫婦へのお礼に、「小粥」(浜松では「おがい」と読む場合が多い)の姓と家紋を与えた。
小粥の家紋は丸に二引。
(茶碗の上に箸を置いた形から)
そして2つ目。
追手を巻くために家康が妙恩寺に逃げ込んだ。
当時の住職 日豪上人が家康を天上裏に隠し食事を出した。それを食べて空腹が満たされた家康は、「この恩はいつか必ず返す」と言い敗走を続けた。
その後、かくかくしかじかあって天下を取った家康は、土地と寺紋を与えた。
寺紋は丸に二引。
(茶碗の上に箸を置いた形から)
…いやぁ、コピペが捗る文章ですなぁ!!
天下獲っても恩返しのための報奨金が出せなかったから家紋・寺紋を授けた、なーんて諸説もあるみたいです。
この2つの紋、似ているようで少し違っていて、小粥家の家紋はお箸の部分がお椀にぴったりの長さ。
妙恩寺の寺紋はお椀からお箸が少しはみ出す長さ。
お寺さんよりか、老夫婦の家で出されたお箸の方が短かったってことなんでしょうかね?
これには敵対勢力も
まじ家康半端ないら!
命からがら逃げてる最中に寄った先で出してもらったお箸の長さめっちゃ記憶して紋を授けるもん。そんなん出来んら、普通!!
(あれは絶対天下獲るな)
(獲りますねぇ!)
って言ってたとか言ってないとか。
※諸説あり!!