【特別連載】ビーチサッカー元日本代表 鈴木俊多が見たビーチサッカー「Shunta Suzuki ー Beach Soccer ー」 episode1

ビーチサッカー suzukisyunta

ビーチサッカー元日本代表、鈴木俊多による特別連載企画「Shunta Suzuki ー Beach Soccer ー」全4話がスタート。episode1は自身の生い立ちについて。

鈴木俊多 – Shunta Suzuki

大学を卒業後、20代は沖縄でビーチサッカー選手として過ごし、30歳の時に地元浜松に戻ってきた。現在、磐田を本拠地に活動するビーチサッカーチーム「Club AREIA」(クラブ アレイア)」の代表兼選手として活動中。

クラブ アレイアは、2016年、2015年と2年連続で東海地区代表として全国ビーチサッカー大会出場。2017年は残念ながら東海大会決勝で三重県のチームに敗れ、全国大会出場とはならなかった。

日本サッカー協会が主催するビーチサッカー全国大会が行われるようになって、今年(2017年時点)が第12回大会、12年目になる。

そんな全国大会があるのは、そのもっと前から偉大な先輩たちが築いてきてくれた結果。サッカー界のレジェンド、ラモス瑠偉さんもビーチサッカー黎明期から支えてくれていた。

私はラモス瑠偉さんが2度目のビーチサッカー日本代表の監督をされていた時、日本代表に選んでいただいた。

2011年には、イタリアで行われたFIFAビーチサッカーワールドカップに出場した。

ビーチサッカーを始めたきっかけ

私がビーチサッカーに出会ったのは大学4年生のとき。

当時就職活動をし、横浜にある上場企業の内定をもらっていた。しかし今後の人生を左右する大きな岐路を前に「本当にこのまま就職しても良いものなのか?」「これが自分の進みたい道なのか?」と悩んでいた時期。

そんな時、テレビでビーチサッカー日本代表ラモスJAPANが「第1回 FIFAビーチサッカーW杯」で、世界4位になったというニュースが流れてきた。 それまでサッカーが大好きで、大学でも全国レベルの選手が集まるサッカー部でサッカーを続けてきた私。さらに海が大好きでサッカー部の練習がオフの日は、しょっちゅう海まで出かけていた。ビーチサッカーはそれがかけ合わさったスポーツ。 そして日本代表、W杯というステージを目指せるスポーツ。

単純な私は、 「これしかない!」「ビーチサッカーやりたい!!」と思ったのだ。

私は決まっていた内定を断った。チームに入れるかどうかもわからない状態で部屋の荷物を全て車につめこみ、当時日本のビーチサッカーのトップを走る2チームがあった沖縄の地へ渡った。

そして日本代表選手を多く輩出していた「ソーマプライア」というチームに、練習生として参加させてもらえるようになった。その後はチームに正式加入できるように、そして「この選手達に勝てば俺も日本代表になれるんだ」と毎日必死に練習に食らいついていた。

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沖縄へ渡りビーチサッカーを始めた頃

ただ、周りは日本代表として世界を舞台に戦う選手達。かたやなんの実績もないビーチサッカーど素人。わかっていたことではあった。現実的にそこにはとてつもない差があり、南国で楽しいイメージのビーチサッカーは一切なかった。厳しい練習にメンタルも身体もやられ、毎朝練習前は不登校の子どものように吐き気をもよおしながら練習に向かう日々が続くのだった。

厳しいのは“できない自分のせい”だ。 “自分が決めた道だし、好きでやってるんだから仕方ない”とは言うが、やっぱりキツイものはキツい。挫折しそうになったことは何度もあった。

そんな当時の私を支えてくれていたのは、就職を断わり沖縄に行った私を認め、応援してくれた母親と、初めは反対していたけど「お金がないだろうから…」と毎月自分の小遣いの一部を仕送りしてくれた父親。そして早くに結婚をしてお金もない中支えてくれた妻。感謝しかない。

支えてくれたみんなのためにも「なにがなんでも絶対に日本代表になるんだ!」そんな覚悟だった。

毎日午前中は厳しい練習に必死で食らいつき、午後からは生活するために仕事をしながら1日1日をやり抜いていくことだけを考えて生活していた。 それが日本代表にもつながっていくと信じて。

『日本代表の壁』

日々の練習の積み重ねの結果、徐々に試合にも出られるようになり少しずつ自信もついてきた。しかし日本代表という“壁”が立ちはだかるのだった。

センスのある選手は自分より後に始めて日本代表になっていく。厳しさについていけない選手達はチームを去っていく。結果的にチームは少数精鋭となり、自分以外のメンバーは全員が日本代表という時期がしばらく続いた。

一緒に練習している選手達は代表に選ばれ、「自分だってできるはずだ」と思っていても全くお呼びがかからない。 みんなが代表合宿中、残された私は一人でトレーニングをしていた。「悔しい…。」

一番つらいのは日本代表メンバー発表の日。 自分が選ばれないからといって悔しくてヘコんでいたらチームメイトに気をつかわせてしまうし、チームの練習にも悪影響になってしまう。 そういう日の練習は、悔しくてあふれ出てくる涙を必死にこらえ、隠しながら練習していたのを覚えている。

念願の日本代表選手に

想いが実ったのはビーチサッカーを始めて5年後のこと。

その年は、所属していたチーム全員が日本代表。私以外。しかしまだ代表に選ばれていない私がチームのキャプテンを務めさせていただいた。チームは全国優勝し、私は全国大会MVPをいただいた。

そしてこの年、念願の日本代表にも選ばれることができたのだ。

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初めて出場した国際親善試合。vsイラン代表

この年は今考えても出来すぎで怖いくらいだった。初めてW杯の日本代表メンバーに選ばれたと連絡をもらったときは、あふれ出る涙を止めることができず、誰にも見られないようにしばらく車の中に隠れていたのを今でも鮮明に覚えている。

今まで大きな目標を叶えたことのなかった私にとって、日本代表は人生を左右する大きなターニングポイントとなった。

next episode2>>ビーチサッカーの魅力について

【プロフィール】鈴木俊多 – Shunta Suzuki –

Club AREIA クラブアレイア

「Club AREIA」(クラブ アレイア)」後列左から3人目 ー 鈴木俊多

元ビーチサッカー日本代表

2011年、FIFAビーチサッカーワールドカップ イタリア大会出場

現在、磐田を本拠地に活動するビーチサッカーチーム「Club AREIA」(クラブ アレイア)」の代表兼選手として活動中。2016年、2015年と2年連続で東海地区代表として全国ビーチサッカー大会出場。

2年連続東海ビーチサッカーリーグ得点王。

>>Club AREIA official site

>>Instagram 鈴木俊多

日本ビーチサッカー連盟HP:http://jbsf.or.jp

【特別連載】ビーチサッカー元日本代表 鈴木俊多が見たビーチサッカー「Shunta Suzuki ー Beach Soccer ー」 episode4

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