浜松・浜名湖が舞台!来年2017年のNHK大河ドラマは「井伊直虎」
最近ニュースでもよく見かけるようになった「聖地巡礼」。ヒット作になればなるほど、多くの人が、その作品のロケ地やゆかりの地などへと足を運ぶその現象は、今後も地域活性化や観光においては、ひとつの見逃せない要素と言っても過言ではないだろう。
…とまぁ固いことは置いておいて。
来年2017年のNHK大河ドラマの主人公は「井伊直虎」。
恐らく、2015年9月の発表時点でこの名前を知っていたのは余程の歴史マニアか某ゲームのプレイヤーのみだったと思われるが、井伊という姓からも分かる通り、奥浜名湖の井伊谷(現:浜松市北区引佐町井伊谷)出身、徳川四天王の井伊直政の「井伊家」の女性の物語だ。
あれよあれよという間に先日地元ロケも始まり、関連史跡・施設にも続々と案内板の整備などが進んでいる。
もちろん、歴史好き、創作好きにとっても、戦国時代当時に女性が当主を務めたとか、初恋の人と引き裂かれて生き別れになるとか、興味を引く設定が盛りだくさん。
という訳で、せっかく地元が舞台となる「大河ドラマ」、井伊直虎、そして井伊家のゆかりの地を改めて見直して、自分なりの再理解を深めていこうと思う。
すべてはここから始まった「井伊氏祖 共保公出生の井」
という訳で、まず最初に訪れたのは…
井伊直虎の時代から遡ること500年以上、井伊家元祖である「井伊共保」ゆかりの地「共保公出生の井」。
浜松市指定史跡でもあるこの場所は、龍潭寺の南約50m、写真を見ても分かる通りなんと田んぼの中!
そもそも、出生の地がなぜ「田んぼの中の井戸?」
なぜ、この田んぼの真ん中にある井戸が「井伊家」の始まりとされているか?
諸説あるが、この案内板にもある通り、井伊家初代の共保は、藤原氏一族がこの地を訪れた際にこの井戸の傍らで生まれて間もなくの状態で発見されたとされるのが通説。
しかもその子は、とってもきれいな顔で優秀そうで、拾った側としても「神童だ」と思ったそうなのだから、大名家としては少し変わった、伝説的な不思議さが感じられる。
以下、案内文の全文。
浜松市指定史跡
井伊氏祖 共保公出生の井
この井地尾は井伊家の始祖井伊共保公出生の井戸として往古から伝承されています。
一條天皇の寛弘年間、藤原鎌足十二代の子孫備中守共資(ともすけ)公が遠江介として村櫛へ下向、元旦、領内平安祈願のため渭伊神社へ参拝されました。
たまたま神域の当井戸の傍に嬰児を見付け抱上げつくづく見れば、俊秀麗顔、常人にあらずまことに神授の神童なることを覚り己が子と致しました。
後年共資公が自身の一女と婚せしめ、郷名にちなみ名を井伊共保と称し当地方の宰主となり家紋をこの聖井を型取り、井桁に橘を以ってし、名門井伊氏の基を開いたと謂われます。又、史説として、天日槍命(あまのひほこのみこと)三十二代三宅好用(こうよう)、醍醐天皇の延喜年間奈良より荘司として着任、この井戸の傍に居を構え、それより三代目の井端篤茂の娘が共資公に嫁し共保を生誕したとも伝えられます。
三宅の家紋は橘であります。浜松市教育委員会
江戸幕府大老、彦根市長…子孫も訪れる、井伊家発祥の地!
白壁と瓦にぐるっと囲まれた中には、向かって左手側に伝承の井戸。
井戸に使われている石を見ても、古そうなことが伝わってくる。
とても立派で(後世、修繕されていると思われるが)、少し近寄りがたい雰囲気を感じて、この写真を撮るのが精いっぱいだった。
一方、右手側には石碑が建っている。
写真左、敷地中央側にある「祖霊之地」の石碑は、子孫にあたる元彦根市長、第三十九代当主井伊直愛(なおよし)によって建てられたもの。
写真右には「八幡宮」とあり、かつてここにあった井伊八幡宮の石碑だと思われる。
そして入口右側には、歌碑がひとつ。
わきいづる 岩井の水のそこ清み くもりなき世の影ぞ見えつつ
幕末まで続いた名家である井伊家。
この歌は桜田門外の変で命を落とした、江戸幕府大老「井伊直弼」がこの地を訪れ詠んだもの。
井伊家では、代々、この地を訪れ祖先に思いを馳せる、そんな習わしがあったのかもしれない…。
こんな風に、井伊直虎当代だけではなく、祖先からたどると思わぬ出会いもあるもの。
浜名湖・静岡県西部周辺の「井伊家」スポットをこれからも順にご紹介していこう。
「井伊氏祖 共保公出生の井」への行き方
周辺に駐車場等はないので、「龍潭寺」参拝のついでなど、駐車場を利用するのがおすすめ。
龍潭寺の駐車場脇の案内板の地図には、現在地の下の方にきちんと記載がある。
龍潭寺の前の道路を渡り、少し西方面へ行くと、すぐに看板が出ている。
右手に「牧原医院」を見て進めば、すぐ左手側に、田んぼの中の白壁・瓦に囲まれた一画が見えるはずだ。
ちなみにこちらも、例にもれずしっかりポケモンGoのジムになっている。