ボブ・ディランって聞いたことあるけど、聴いたことない

ボブディラン 文学 

ボブ・ディラン氏がノーベル文学賞。歌詞が文学なのか?連絡が取れない事が無礼だとか色々な事で物議をかもしだしている。

賞を取ろうがとるまいが、私の知るボブ・ディランの音楽が変わる事ではない。その部分ははっきりと言わせてもらう。”どうでもいい”のである。私の車のハードディスクの中にもボブ・ディランが常に入っている。メッセージ性のある素晴らしい歌であるのは間違いない。

それよりも、このノーベル文学賞の話題によって、「ボブディラン?名前聞いたことあるけど音楽を聴いたことがない。」という人達がその音楽に興味を持ち、「一度聴いてみよう」となるきっかけになった事が私にとっては大きく感じる。

そして「文学賞」ということで歌詞に注目されたことが違う意味で大きいのではないかと思う。日本人が外国の音楽の歌詞の内容まで理解して聴いてるという人達はどこまでいるのだろうか。ニュース等で和訳が掲載され、興味を持って一曲でも訳詞から何かを感じた人がいるとそれはきっと、ボブ・ディランにとっても、それを読んで、聴いた人にとっても、「賞」になるのかもしれない。

いろんな音楽が時代によって移り変わっていくが、日本ではメッセージのある歌が少し減って来ているような気がするのは、気のせいだろうか。

歌は時に、まるで宗教のように救いになり、時に政治のように人を動かすことがある。もしかしたら、偏った考えを口にする事が難しくなった現代に、そんな歌が必要なのかもしれない。

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光田拓未

modernedge records(インディーズロックレーベル)代表。BAND活動にて音源リリースや日本各地、UKや韓国などでもツアーを行った経験を持ち、100回以上ものライブイベントを企画。又、音楽雑誌でのライターの経験もある。音楽を通じたサブカルチャーやファッションなどを得意とし、探求している。